ポリーニ ピアノ・リサイタル
2006年10月11日 音楽 コメント (7)
念願かなってポリーニを聴いた。サントリーホール。ここでピアノのリサイタルを聴くのは初めて。「サントリーホールはブルジョワホール、音が良いのは高い席だけ」という定説はオーケストラコンサートに限ってのことかと思っていたのだがそうではなかったようだ。本日、私の座ったステージサイドの席は音がぼやけて聴くのに大変苦労した。位置的にも、距離的にも決して悪いとは思えなかったのだからやはりホールの音響のせいだろう。
というわけで開始のシェーンベルクの「3つのピアノ曲」はあれれという間にすぎていった。おそらくポリーニ自身もしっくりいっていなかったのではないかしら。つづく「6つのピアノ小品」はこちらも慣れて楽しめた。いや、すごく良かった。新ウィーン学派の一人としてのシェーンベルクというより、ずっと後期ロマン派のカテゴリーに押し戻すようなロマンティックな演奏。これなら聴ける!前半最後はベートーベンの「熱情ソナタ」。ポリーニのベートーベンは正にイタリアン。このソナタなんかを弾くにはぴったりで、以前の来日公演での演奏を放送で聴いた時には唸ったけれど、今日の演奏はいっそう軽やか。それにとても冷静だった。
後半はオールリストで、小品をまず4曲(灰色の雲、凶星、悲しみのゴンドラ、ワーグナー〜ヴェネチア)。これらと対峙して最後にソナタが置かれている。やはりソナタが聴きもの。出だしがかなりはっきりとした音量で弾かれてはっとさせられたが、もう一気に最後までという感じ。
アンコールに応えてまずドビュッシーの「沈める寺」。有名なナンバーだが、これが今日一番美しく聴こえた。良い気持ちでいるところに2曲目、リストの超絶技巧練習曲が。100パーセントテクニックだけの曲。これをいまだにポリーニの演奏で求める観客がいるとも思えないのだが......。そして出ました!ショパンの「革命」!これは見事な巨匠の技。単なる名曲ではすまさない、すみずみまで練り上げられた完成度の非常に高いもの。「革命」をこんな素晴らしい曲だと思ったのは初めて。会場はもちろんヤンヤの喝采。ところが、これで終わりかと思ったらふたたびピアノに向かい、夜想曲 変ニ長調 op.27-2 を演奏。いつまでつづくのか、さらにさらにスケルツォ第3番まで弾いて聴く側もくたくたに。観客もようやくスタンディングオーベーションで称える。ポリーニの演奏会ではおなじみのようみたいなのだが、舞台上に50人弱の音大生らしき人たちの特別席が設けられていて、盛んに拍手をしているものの、総立ちの観客とは対照的に誰一人立ち上がろうとするものがいなかった。主催者のほうから立ち上がってはいけないなどと言われていたのであろうか、それともだれも演奏にたいして心を動かされなかったのであろうか。いずれにせよ傍目には個性の無いつまらない集団のように映った。気がつくと10時10分前、長かった。
というわけで開始のシェーンベルクの「3つのピアノ曲」はあれれという間にすぎていった。おそらくポリーニ自身もしっくりいっていなかったのではないかしら。つづく「6つのピアノ小品」はこちらも慣れて楽しめた。いや、すごく良かった。新ウィーン学派の一人としてのシェーンベルクというより、ずっと後期ロマン派のカテゴリーに押し戻すようなロマンティックな演奏。これなら聴ける!前半最後はベートーベンの「熱情ソナタ」。ポリーニのベートーベンは正にイタリアン。このソナタなんかを弾くにはぴったりで、以前の来日公演での演奏を放送で聴いた時には唸ったけれど、今日の演奏はいっそう軽やか。それにとても冷静だった。
後半はオールリストで、小品をまず4曲(灰色の雲、凶星、悲しみのゴンドラ、ワーグナー〜ヴェネチア)。これらと対峙して最後にソナタが置かれている。やはりソナタが聴きもの。出だしがかなりはっきりとした音量で弾かれてはっとさせられたが、もう一気に最後までという感じ。
アンコールに応えてまずドビュッシーの「沈める寺」。有名なナンバーだが、これが今日一番美しく聴こえた。良い気持ちでいるところに2曲目、リストの超絶技巧練習曲が。100パーセントテクニックだけの曲。これをいまだにポリーニの演奏で求める観客がいるとも思えないのだが......。そして出ました!ショパンの「革命」!これは見事な巨匠の技。単なる名曲ではすまさない、すみずみまで練り上げられた完成度の非常に高いもの。「革命」をこんな素晴らしい曲だと思ったのは初めて。会場はもちろんヤンヤの喝采。ところが、これで終わりかと思ったらふたたびピアノに向かい、夜想曲 変ニ長調 op.27-2 を演奏。いつまでつづくのか、さらにさらにスケルツォ第3番まで弾いて聴く側もくたくたに。観客もようやくスタンディングオーベーションで称える。ポリーニの演奏会ではおなじみのようみたいなのだが、舞台上に50人弱の音大生らしき人たちの特別席が設けられていて、盛んに拍手をしているものの、総立ちの観客とは対照的に誰一人立ち上がろうとするものがいなかった。主催者のほうから立ち上がってはいけないなどと言われていたのであろうか、それともだれも演奏にたいして心を動かされなかったのであろうか。いずれにせよ傍目には個性の無いつまらない集団のように映った。気がつくと10時10分前、長かった。
コメント
素晴らしい演奏会だったんですね?
最近のポリーニの演奏は、以前にも増して音楽に深みが出てきました。
宇野 功芳のいうような、指が回るだけで中身が空疎な人じゃないです。
これから、どんな新境地を聴かせてくれるのでしょうか?
音大生は音楽のことが、わからない人が多いですから、
仕方が無いと思います。
音大生といえば声楽科にかよう学生が「シューベルトの交響曲を聴いたことが無い」なんていうのも珍しくないんですね。それでいいとも思えないんですけれど。
演奏も素晴らしかったようで・・・・
実はポリーニの演奏って(彼は完璧主義者で自分の演奏にはとても厳しい人だから)なんとなく正座して聴かなきゃならないような雰囲気が苦手で・・・・・。
ちょっと敬遠していたのですが、最近発売されたウィーン・フィルとの録音のモーツァルトのピアノ協奏曲、あれすごくいいですね。
テクニックはそのまま、でもすごく肩の力が抜けたいい演奏ですね。
高級ムード音楽として消費されるようなものらしいですからね?
しょうがないのかなという気がします。
>音大生といえば声楽科にかよう学生が「シューベルトの交響曲を聴いたことが無い」なんていうのも珍しくないんですね。それでいいとも思えないんですけれど
音大生なんて専門以外の事まで手が回らないと思います。
練習で忙しいから・・・・・。
彼らは子どもの頃から人よりも上手にピアノが弾ける・・・などといった理由で音大に入るわけですから、問題意識を持っている方が不思議であります。
音大を卒業しても音楽で食べていくのは大変です。
なのに音大に子どもを入れる親が多いのは、とても不思議ではあります。
親がきっとお金持ちなんでしょう、きっと・・・・。
親がある程度の経済力を持っていない人は医者になれないのと同じようなもので、音楽を勉強するのにはとってもお金がかかります。
ましてや就職などに結びつかないものに金を払うのだからするのだから、お金と精神の余程な余裕がないと出来ないです。
人より遥かに抜きん出た才能と能力、そして忍耐強さに恵まれているのでも無い限り、子どもの進路なんか親の経済力で決まってしまう。
だから家が貧乏で満足にピアノも買えないような家庭の子どもが音大に入って演奏家になったとか、そういうケースは日本ではまず稀だと思います。